「まなびや通信」 バックナンバー
ほぼ週刊 まなびや通信 神奈川県PTA協議会 vol.29 2013年2月18日発行
━━━■目次■━━━
【1】帰って来た すんくじら!
【2】県Pからのお知らせ
【3】今後の県P
━━━━━━━━━━
現在、県Pでは今年の10月26日~27日と横須賀&湘南地区で開催されるPTA関東ブロック神奈川大会の準備が着々?と進んでいます。「かながわ学舎
~開国の地から 新しい風を~」を大会スローガンに掲げ、我々、大人が真剣に学び合い、行動することによって、その光り輝く大人の背中を子ども達の目に焼き付けたいと考えております。詳細につきましては、もう少ししたら発表できると思いますので、今しばらくお待ち下さい。県Pメルマガ購読の皆様、日程だけは空けておいてくださいね!
それでは、前回に引き続き、、、すんくじらの登場です!
━━━━━━━━━━━━
【1】続・すんくじら紀行②
━━━━━━━━━━━━
こんな事もありました。現在もクラスでの係ってありますよね。我が娘はプリント配布係がお気に入りです。私が小学生の時の「5の2」にもありました。でも少しかわった名前がついていました。文部省、厚生省など(時代がわかりますね♪)といった風に係名がそっくり政界で、クラス委員長がすなわち総理大臣のごとく組織化していました。クラスで起きた問題は野党?!含めてしっかりディベートされ解決へと自力で体制を整えていました。まったくすごいと改めて思い出します。生き物の世話をする意味も環境大臣が仕切りカリキュラムをみんなで考え取り組んでいました。どうしたら長生きしてくれるか提案したりして...なんだかメダカもしあわせです。
今でも懐かしく思い出します。担任はだいぶ前に校長先生になったと風の便りで知りました。いつまでもお元気でいてほしいです。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では幕末の動乱期を力強く生きている登場人物が多数出演しています。新しい時代の旗揚げにどれだけ翻弄されたことでしょう。勝麟太郎(後の勝海舟)は、「力では人は動かぬ、心で動くもの。」と言い残しています。主人公新島八重の名訓は「美徳をもって飾りとせよ!」です。なんとも凛々しく背筋の伸びる思いです。
私にとって「5の2」で学んだ事は偉人の言葉の如く一生の宝物です。私がPTA活動に参画しているのも「5の2」の思い出が我が人生の道筋に叶った事だからかもしれません。私たちPTA活動が子ども逹にとって心揺さぶる素敵な1年間をプレゼントできていたら幸いです。
西郷隆盛が描いた文明開化は志なかばで尽きたとしても、見上げ眺めた空は時をこえ今と変わらず私の母校を見守り続け、新しい年度の幕開けを待っていることでしょう。(山北町 高橋)
━━━━━━━━━━━━
【2】 県Pからのお知らせ
━━━━━━━━━━━━
● 平成25年度神奈川県公立高等学校一般募集共通選抜、特別募集、中途退学者募集及び別科学力検査受検者数集計結果の概要が県教委のHPにアップされてます。
http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p594335.html
新制度による受験でしたが、でてきた数字を見ると落ち着くところに落ちついたといった感じでしょうか、、、制度初年度で戸惑った子ども達、保護者の皆様、先生方、、この結果はどうですか?
━━━━━━━━━━━━
【3】 今後の県P
━━━━━━━━━━━━
① H25.02.19(火)
第10回役員会 14:00~
関ブロ実行委 16:00~
② H25.02.22(金)神奈川教育会館(藤棚)
理事会 13:00~
教育を語るつどい 15:00~
懇親会 17:00~
③ H25.04.16(火)県P年度末総会
神之木台分館?
④ H25.06.07(金)県P定期総会
神之木台分館
━━━━━━
編集後記
━━━━━━
高橋さんの「続・すんくじら紀行」如何でしたか?
「かごんま出身のおなごと~えぃ、さすがじゃった、オイは、もひとつ惚れ申したでごわす」
以下は西郷隆盛終焉の地の案内板でごわす、、、
ズドン、ズドン!2発の銃弾が西郷隆盛の腰を大腿部を撃ち抜きました。城山洞窟を出てわずか300m、650歩でついに途は閉ざされたのです。
「晋どん、もうここらでよか。」東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。明治10年9月24日のことです。
西郷を敬愛する私学校生徒を中心に強大な反政府勢力となった薩軍が2月15日に50年ぶりの豪雪をついて熊本に軍を進めて以来、7ヶ月もつづいた「西南の役」が終わったのです。熊本城の攻防、田原坂の激戦に破れ、人吉から宮崎、延岡に追われた薩軍はついに解散。西郷以下の幹部は宮崎県北の可愛岳を突破し九州の中央山脈を縦走する難行軍の末、故郷鹿児島を死に場所に選んだのです。岩崎谷の銃声がやみ、西郷の死体が発見された時、政府の総司令・山県有朋中将は、
「翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは、翁をここまで追い込んだ時の流れだ。」と語り、いつまで黙禱したということです。
メルマガに対するご意見・ご要望もinfo@pta-kanagawa.com お待ちしております。(見える化た)